うちの子 鉄ちゃんIRON MANうちの子 てっちゃんです NYで生まれましたが、今は日本で楽しくやっています。くるくる回ることと、英語で数を言うのが特技です。 鉄男’01夏 とうもろこしに自慢の歯でガブリ。 (スカートではありません むちむち(chubby)と生後まもなく言われだしたのは、そのころ混合栄養にしていたせいでしょうか。 TVに真剣過ぎない? ***************************NY出産ばなし(ちょっとしんどいお話です) アメリカではご存知の通り出産後あまり入院しません。 でもうちの子は、生後少ししてクリスマスのころ、黄疸で、紫外線療法のため病院に逆戻り。私もinfection で熱がでてはきけもあったのでどうなることかと思いました。 実はそれまで1週間、自宅で何か信じ込んだ夫に母乳を半強制的にやらされていてストレスがあり、母乳不足で息子は1時間ごとに泣いていました。またそのことばかりで白目のチェックが甘くなっていたような気がします。もちろん陣痛以降ろくに眠っていませんでした。 生後まもなくの黄疸はアジア系の男の赤ちゃんには珍しくありませんが、病院では治療のためのライトの熱で脱水になってはいけないと、点滴をされました。赤ちゃんは血管が出にくいので、なんとこめかみにブスッとやられました。(そんなこと本人はおぼえていないといいなあ) オムツではなく,おしりには使い捨ての医療用マスクをすることになっていました。できるだけいっぱい紫外線を浴びさせるためです。目は紫外線から守るため、両目とも眼帯です。ずれないよう、ずっと横で眠らず見ていました。その装置の操作がわかる人が見つからなくて、温度があがったり下がったり。ひどいなあと思いました。 日本だったらどうするのかわかりませんでしたがそんなこと考えてもいまさらどうにもなりません。1度夫が見ている間、真夜中にバスで自宅に帰り、シャワーを浴びて死んだように眠りました。子供も泣かず、夫も責めない。久しぶりの熟睡でした。 早朝、バスで病室に帰ると夫が椅子で寝ていて、鼻かぜをひいたとこぼしていました。 その後、何度も針をさされる採血検査のあとやっと息子の退院が近づいたので、2階上の婦人科に電話して自分を診てもらおうとしたけれど、1階の救急にいけといわれました。家に帰っていた夫に交代して、救急で2,3時間待ちました。これまたご存知の通り、紙の患者服いっちょで待っていたので寒かったです。自分で歩いていってお医者さんにあのーまだいるんですけどと自己主張しなくてはいけませんでした… それからも不愉快なことはいろいろあったけれど、私は入院せず、夫と息子とその日うちに帰れることになりました。クリスマスなので、子供の病室にサンタさんも訪ねてきていました。福祉グループが、「かわいそうな子供に」とプレゼントをいっぱいくれて荷物はパンパンです。テレタビーのラーラ人形(黄色いの)をもらいましたが2日前黄色かった鉄男には、しゃれにならんと苦笑い。 罪悪感を持ちながらもその後は粉ミルクに半分切り替え、夫がバンバン飲ませるようになったせいか息子の顔はおにぎり三角に肥えてゆきました… ********************************************************** このときはすべりだしからこれかーと思いましたが、世の中には私の妹も含め、もっと深刻な病気で生まれてきてしまったお子さんもいるわけですから、まあこれなどは単なるNY思い出話の類ですよね。 私には日米の比較はできませんが、NYの大病院出産は私は勧めません。ジャグジーバスのついたプラザホテルなみの分娩室もいいけど、そのあと入れられるところはよくないんです。しかもインターンのグループとかソーシャルワーカー、病院付きの母乳指導員とかどんどんベッドにやってきて同じ質問をくりかえすので、かなりつらかったです。 法的には息子がアメリカ国籍をこれで21までもつことになったのがよいのか悪いのかわかりませんが、そのことで母親である私に自動的にビザがおりることは今のところありません。彼が永住権を申請することは、成人までできません。念のため。 また、このころオムツにピンクのものがついていて???? 実家・病院ふくめていろんなところに電話して相談しましたが、わからないといわれ困りました。それで受けた診察で黄疸がわかったのです。 ピンクのものは半年後くらいに何かの本で乳酸だったかともかくヘンなものではないとわかりましたが。 では、いろんな写真、もっと楽しいNY時代のお話ものせていく予定です。 ここまで読んでくださった方、ありがとうございました。 ジャンル別一覧
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